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元素は宇宙を流転する

著名な心理学者、故河合隼雄先生と、シンクタンクの代表である田坂広志氏との対談に以下のようなくだりがあります。(「こころの生態系」講談社+α新書 pp.141-2)

<河合> 各人が自分の宗教性ということをすごく大事にして生きる時代が来るんじゃないか、もう来つつあるんじゃないかなとぼくは思っているんです。
 要するに、新興宗教じゃないけど、何かをパッと信じていたら、それで楽なわけです。しかし、現代の人間というのは科学的にはものすごく進んでいます。すごいことをよく知っているわけです。で、やろうと思えば、クローン人間ができるかもわからないし、原子力の力も持っているし、DNAもだいぶわかってきた。
 そう言う知識を持ったうえで、どこかに神様がいるなんて簡単には信じられないですよね。(中略)
 ちゃんと会社に来て、お金も儲けて、給料ももらわないかんけど、それと同時に、「人はなぜ生きるか」とか、「自分は死んでどうなるか」とか、やっぱりかんがえないといかんわけでしょう。
 そう言うのを含めて、たとえばキリスト教だったらキリスト教で救ってもらうとか、仏教だったら仏教で救ってもらうというやり方でやっていたわけですね。
 しかし、自分がほんとうの知識を持ってきたら、なかなかそういう方向には簡単に入れないですよ。だから、片方で大変な知識を持ちながら、それに見合う一種の宗教性ということを自分で持たねばならないというか、・・・(中略)
<田坂> そうですね。だから、二十一世紀に「宗教教育」というものが復活するとすれば、むしろ、最先端の自然科学がいま解き明かそうとしている「自然のあり方」そのものの不思議さと神秘性が、じつはもっとも深い「宗教教育」になっていくのではないでしょうか。


要するに、科学が進歩して、自然の仕組みのいくばくかを知り、その知識をもとに自然を操作することが出来るようになった。「自然の操作」と書くと、悪いことのように聞こえますが、結核やマラリアが治るのだって、冷蔵庫だって、その結果なのですから、自然の操作の恩恵に浴していない人は少ないはずです。けれども、多くの人が科学的知識を持つようになったため、素直に宗教を受容できなくなっている、ということです・

しかし、科学的知識が増えたからといって、宗教が無用の長物になったわけではありません。そのことは、オウム真理教の信者に、知識人が少なくなかったことが端的に語っています。既存の宗教を受容しにくくなっているのに、宗教的な物事へのニーズは減ったわけではないということです。この現象が科学的知識の増加によるものなのに、その解決もまた、自然の不思議さ・神秘性を解き明かそうとする科学によって提供される可能性が示唆されているのですから皮肉なものです。でも、私自身は田坂氏の意見に共感を覚えます。

この記事の題名は、意外でしょうが、文部科学省が監修して、「一家に一枚宇宙図」作成委員会が作ったポスターに書いてある言葉です。このポスターは、誕生から現在までの宇宙の変遷を図にした物です。

元素は宇宙を流転する

この言葉は安心感を与えてくれます。自分が死んだあとの行き先が分かるからだと思います。自分が死んで、火葬されて、灰になって、その灰はどこに行くのか知りませんが、とにかくなくなりはしません。土の栄養分になって、植物に取り込まれるのでしょうか?分かりませんが、形を変えて、宇宙のどこかには存在するでしょう。故神谷美恵子先生の「旅の手帖より」の以下の引用文に通じる気持ちです。

 われわれの「生前」のすがたをさかのぼって考えてみますと、それは、何か別のかたちの物質、あるいはエネルギーとして、大宇宙のなかに散らばっていたと考えられます。私どもが、人間という形をとる以前のさまざまの元素のもとは、もとは大自然と中にちらばっていた、あるいは可能性として、何かのエネルギーの形であったのかも知れないと思われて来るのです。その元素・エネルギーが、結びついて、人間としてこの世に生まれてくるということは、実に稀な、不思議としか言いようのない偶然に支配されていることを思わずには居られません。(中略)また、死後の世界について考えてみますと、・・・死者の肉体が、元素に還ることは間違いのないところであります。骨が残っても、やがては骨もくずれてこなのようになってしまうのです。私は、万霊山に吹き透る風の中に佇みながら、この風の中にも、死んだあの人の元素があるかも知れないと感じ、またこの大地の中にも、今は亡きあの人の元素がしみこんでいるかも知れないと思うことがあります。(生きがいを求めて(講演)pp.210-211)

人間や宇宙を含めた自然というのは、あまりにも広大で、人間が知り尽くすことなどなさそうなので、自然の驚異への感動(センス・オブ・ワンダー)は、宗教が受容しにくくなった時代に、宗教同士の対立も引き起こさず、人の心に宗教性を与え続けるはずです。

若くして亡くなった池田晶子氏の「あたりまえなことばかり」(トランスビュー)より

子供であれ大人であれ、人は不思議に目ざめることによって、自ずから矩(のり)を知るのではなかろうか。無理に道徳や哲学を教え、学ぶ必要もない。不可解な大宇宙に生き死ぬ不思議、この感覚に目覚めるだけで、じつは十分なのではなかろうか。(p.24)

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1995年早生まれの男の子(ミント)、1997年生まれの女の子(パセリ)の母親です。主として、目からウロコが落ちるステキな子育て・学力養成の理論&実践方法を提供しているどんぐり倶楽部について書いています。

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