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ある思い出

今年のゴールデンウィークは天気に恵まれたので、楽しく過ごされた方が多かったことでしょう。

5月は光にあふれ、緑も美しい季節です。
私もこの季節が好きです。

それなのに、ゴールデンウィークのうちの1日だけ、朝から晩まで泣いていました。
思い出が涙の蛇口を開けてしまったように。

その思い出とは・・・

今年のゴールデンウィークのように明るく晴れた日でした。
私は、まだ幼稚園児・未就園児の子ども達を公園で遊ばせていました。そして、すべり台の一番下から少し離れたところで、他のお母さんたちと、楽しそうな子ども達を眺めていました。

すべり台のそばには一本の木があって、すべり台と、その下にある砂場に、木もれ陽を踊らせていました。

一人の女の子が、すべり台をすべって来ました、お母さんの方へと。
きらきらした瞳が印象的でした。


それから数年後、

その子は亡くなりました。

複数の人が標的にされた無差別犯罪の犠牲者のひとりとして。

今でも、時々その子を思い出しますが、それは事件そのものではなく、参列したお葬式でもなく、あの明るい日のきらきらした瞳をした笑顔です。


事件から数年たって、私はどんぐり倶楽部を知りました。
初めは、ただの面白い問題集だと思っていましたが、その理論を知るにつれ、単なる文章題を解ける力を付けるノウハウではなく、人間というものを深く見すえている点にひかれました。

人間はどんなことも楽しみにする可能性を持つ生き物(それが、犯罪的行為でも)
目にした物事は、その善悪とは切り離されて頭に残る。

人間を育てるときに、絶対忘れてはならないこのことを、他のどこで警告しているでしょうか。
このことの重大さに、誰が気付いているでしょうか。
このことが何を引き起こしうるか、どれだけの人が心に刻んでいるでしょうか。

生物としての人間を研究する人たちが、ぜひ、この点について研究を深めてほしいと思います。


また涙があふれてきました。

命を失ったのは、私でも、私の子どもでもない、偶然にも・・・。
この不条理に耐えかねて、この子の死に意味を見いだしたくなるのは、私だけではないでしょう。

(追記)
この「目に入ること」の重要性と危険性を十分に認識していないと、とんでもない的外れの教育をしてしまうことになります。というのも、視覚イメージは言葉を引き金として再現されることが多いのですが、視覚イメージと言葉は一緒に保存されているわけではないからです。視覚イメージは言葉と切り離されて保存されているのです。ですから、教育の現場では視覚イメージが一人歩きする場合があることを考慮しておく必要があるのです。子供に判断力が育っていない段階で悪い例を見せると、悪い例の「悪い」がなくなって、ひとつの「例」として保存されてしまうからです。言葉よりもイメージのほうがより直接的であり、影響力が強いためです。
(中略)
判断力のない状態では見たものやイメージしたものは善悪の区別なく頭(心)に保存され何の抑制もなく再現されます。そして、体はその再現イメージを無意識に真似するのです。最悪のイメージトレーニングです。
(「新絶対学力」見せる教育・見せない教育)


恐ろしいことにヒトは何にでも快感を見いだすことが出来ます。だから、人間に育て上げるための教育ということが必要なのです。ヒトのままでは人間になれません。ましてや「なぜ~してはいけないのか」という捉え方では何も見えてはきません。(どんぐり倶楽部BBS 2006.10.12)
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Author:ハーモニー108
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1995年早生まれの男の子(ミント)、1997年生まれの女の子(パセリ)の母親です。主として、目からウロコが落ちるステキな子育て・学力養成の理論&実践方法を提供しているどんぐり倶楽部について書いています。

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