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幼児の反復性

私は乳幼児の相手をするのは上手ではないのですが、眺めているのは好きです。
例えば、赤ちゃんは自分の足の指をなめたりといった、不思議なことをしますが、あれは何のためなのでしょう?未だに知りません。とにかく、乳幼児は珍妙なことを何度もやるので面白いです。


何度もすることが好きなのではなくて、次の段階に移るには「納得すること」が必要だから反復することで納得しているのです。面白いと思うことを納得するまでしているのです。ここに知的系統的学習をいれると、強制になり発達を阻害するのです>。(「思考の臨界期」p.627-628)


息子が1歳半くらいの頃だったでしょうか、海苔の入っていた円筒形の缶で遊んでいました。畳の上にぺたんと座り、自分の前に缶を立て、その中に積み木をぽとんと落とします。それから、立ち上がって、缶を上からのぞき込み、積み木が入っていることを確認します。缶が結構細長いので、座ったままでは缶の中が見えないからです。これを何度も繰り返していました。

私は、立ったり座ったり、よく面倒くさくないなあと思いながら見ていました。そして、乳幼児は、こんなふうに自分の周囲の世界の仕組みについての理解を獲得していくのだなと思いました。ある物を容器に入れると見えなくなる、でも、それは容器の中に存在するという、当たり前なこと一つを理解するのに、こんなにも手間をかけるものなのかと、驚きを持って見ていました。こんなペースでは、不自由なく暮らせる程度に、周囲の世界を理解するのは、結構、時間がかかって当然です。しかも、


 「反復を好む」と言われるが、「好き」なのではない。本人は毎回違うことをしているつもり。「行為をしている」だけで「同じ事を反復している」わけではない。(どんぐり倶楽部HP 日々雑感、2009.6.26)


本人は毎回違うことをしているつもり!毎回違う、毎回新鮮、だから何度も出来るのですね。新鮮じゃなければ、こんな事を何度も出来ません。積み木が見えなくなっても、缶の中にあるはずという事を納得できる、つまりは新鮮なことではなくなると、やめてしまう。

赤ちゃんをあやすのに、「いないいないばあ」があります。あれは赤ちゃんにとっては、同じ人がいなくなったり、出現したりするので面白いのだと思うのですが、海苔の缶に積み木をいれるのは、見えなくなっても、積み木はあることを納得する行為なので、「いないいないばあ」より一歩前進です。ちょっと脱線ですが、「カントの指折り算」に書いた、指を折るという行為も、「かず」という概念について、納得感を得られる点がいいと思います。逆に言えば、納得できるまで、指を使えばいいわけです。

見える・見えないに関しては、息子も娘も1~2歳の頃に熱中していたことに、「障子紙破り」がありました。子どもの気持ちになれば、さぞかし面白かったと思います。ビリビリという感触とともに、外の景色が見えてくるのですから。楽しそうだったので、やめさせはしませんでした。従って、子どもの手が届く高さの障子紙が常にビリビリになっている時期が、数ヶ月続きました。子どもは二人いるので、数ヶ月が2回です。「みっともない家」と思われていたかもしれません。でも、近所の目が気になるのは、親だけです。親が世間体を捨てれば、子どもを叱る必要はありません。簡単なことです。いくら育児に不勉強な私でも、いつかは破らなくなることくらいは確信できたので、「いつかはやめるだろう」と思って、下半分にまともに障子紙の無い部屋で、気長に見ていました。

「いつかはやめる」の見通し通り、今は上から下まで障子紙のある家に暮らしています。

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1995年早生まれの男の子(ミント)、1997年生まれの女の子(パセリ)の母親です。主として、目からウロコが落ちるステキな子育て・学力養成の理論&実践方法を提供しているどんぐり倶楽部について書いています。

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