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感覚が満たされる思い出

私のブログは日記ではないのですが、苦労して書くことは全くありません。ネタを思いつき次第、書き留めておくのですが、こうしておくと、ある時、ネタのどれかに言葉が降ってきて、すぐに文章にまとまります。「ある時」には、具体的なきっかけがあったり無かったりです。8月31日の記事には、まとまるきっかけがありました。それは、どんぐり倶楽部HPの「日々雑感」コーナーにアップされた以下の言葉。

●思い出が何になる...とうそぶく人がいる。思い出ってのは人の源だよ。今を生き生きと息づかせるための必須アミノ酸だよ。今を生きるには思い出という源がないと不可能。しらなかったのかい(日々雑感 2009.8.30)

どんぐり倶楽部の理論は、昔から多くの人が漠然と感じていたことに、はっきりした理論的根拠を与えています。そういう理論をまとめた人の雑感なので、「思い出は人の源」「今を生きるには思い出という源がないと不可能」とはどういう事か質問すると、きっと鮮やかな納得できる答えをいただけるでしょう。私には答えられません。けれども、思い出に支えられて生きている感覚はずっとありました。そして、井上陽水の「少年時代」の歌詞と一緒に母の実家での思い出を書く、というネタも暖めていました。というわけで、上記の日々雑感の言葉をよんで、一気に8月31日の記事「少年時代」がまとまりました。

そして記事を書きながら気づきました。どんぐり倶楽部を知るよりもずっと前、私が母親になった時から、子育ての羅針盤になっていたのが「思い出」だったということに。思い出に支えられている感覚があるからこそ、その思い出で味わったような感情で、幼少期の我が子の心を満たしたいと思っていました。この思いが、朝八時半から昼一時まで毎日、幼稚園に入る前の子供を外遊びに連れ出すという、私にとってはかなりの重労働をしていた時の心の支えでした。

勿論、どんな思い出でもいいというのではありません。母親の実家で過ごすことや、いとこ達と遊ぶこととも限りません。また、一家総出の海外旅行といった大がかりなものである必要もありません。感覚器官をフル稼働して体験し、その時に心にしみこむような感情があったようなことです。「心の原風景」とでも言えばいいでしょうか。

感覚器官フル稼働なので、高度に人工的な機械を使った遊びよりは、素朴なおもちゃで遊ぶこと。自然とふれあうこと。子供の心の機微を理解できる人との温かい交流など。自然といっても、ロッキー山脈やプーケットのビーチのように大げさである必要はなく、公園の砂場や、道ばたの植え込みやアリの行列も含めての自然です。温かい交流の相手も、親きょうだいとは限りません。例えば、両親が四六時中喧嘩ばかりして気が休まらない子供の気持ちをくんでくれる近所のお兄ちゃんが、こっそり他の子より多めにお菓子をくれた、そのお菓子がとびきり美味しく感じた、というような出来事です。

どうして思い出が人の源か、思い出に支えられている感じがするのか。説明は出来ません。でも、少なくとも、就学前に、毎日、プリント学習をやったことが、大人になっても心の支えになるとは、とうてい思えないのです。

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1995年早生まれの男の子(ミント)、1997年生まれの女の子(パセリ)の母親です。主として、目からウロコが落ちるステキな子育て・学力養成の理論&実践方法を提供しているどんぐり倶楽部について書いています。

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