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学校に行くという常識(不登校)

最近の小・中学校では、不登校というのが珍しくないというより、存在して当たり前になっています。我が家の子どもたちは不登校状態だったことはないので、不登校の子どもの親の気持ちが実感できないのですが、こういう時に親の価値観が厳しく問われるのではないかと想像しています。

楽しい不登校が、学校復帰への揺るがない基盤になるんです。「自分で決める」ことができるようになるからです。 (どんぐり倶楽部 過去ログ 2006年11月16日 09時54分59秒)

どんぐり倶楽部で扱う不登校のケースは、私の記憶している限りでは小学校なのですが、不登校は「楽しい不登校」であるべきだと言われています。我が家は子どもの不登校に直面したことがないので、不登校関連は真剣に読んでいませんでした。でも、「不登校」と「楽しい」がセットで使われていることには気づいていました。その理由を漠然と、不登校に至るまでに、子どもは相当ストレスを受けているので、それを癒すために楽しくないといけないのかなと思っていました。とても浅い理解でした。上記の過去ログを読めば分かるように、学校に行くと「自分で決める」ためなのです。親に泣きつかれたり、追い込まれたりしてではなく、自分から足を踏み出すためなのです。

不登校やニートの若者を支援するNPOの代表、二神能基氏の著書「『子供のために』を疑う」(朝日新書)が出版されました。幅広い年齢の子供・若者に関わってきた豊富な経験をもとに書かれていて、題の通り「子供のために」と言いつつ「自分のために」子供を追い込んでいく親の心理がズバリと書かれていて、学ぶことの多い本でした。この本の中では、中学生を想定して不登校のことが書かれています。(どんぐり倶楽部とは想定する年齢が違うことを念頭に置いてください)

そこでは、不登校も半年過ぎたら、親は子供に選択肢を示すべきだと書かれています。つまり、在籍する中学、即ちもとのレールに戻る以外の選択肢、「子供が探している、現状を打開するための『糸口』らしきもの」を色々示せると良いと。(pp.176-177)

ここに流れているのは、先に挙げたどんぐり倶楽部の過去ログと同じ、「自分で決める」、自分から足を踏み出してみる、と言うことだろうと思います。そして、もう一つ、理想的な生き方を親が一つだけ決めてしまってはいけないということです。本の中には、長期の不登校、家庭内暴力などの数多い実例が挙げられています。驚いたことに、慶応大学生が荒れてしまったというケースが書かれていました。姉妹が東大に進学したための劣等感からなのだそうです。

理想の生き方を親が決めつけない、多様な生き方を受け入れる心の準備をする。自分の子どもが性同一障害だった場合などは、否応なく突きつけられる課題ですが、私にはまだそのような課題が課されたことがないので、多様性を受容できるか、正直のところ、自信がありません。でも、いつ直面するか分からないので、子供を追い込まないよう、日々自分に言い聞かせておきたいと思います。

たぶんわたしたちは学習上の障害や学校での問題を違った見方で見なければならないのだ。「学校での落ちこぼれ」としてではなく、「学校から救われた」と見ること  もちろん、わたしは個人的にそれを勧めているわけではない。ただ学校での子供たちの悲しみを単に失敗の結果と見るだけではなく、内なるどんぐりの現れとも想像してみるよう、お願いしたいだけなのである。(ヒルマン、「魂のコード」p.143)

学校に通うのが多数派であるのは確かですが、既成の型にはまるのが息苦しくて仕方がない人がいるのもまた確かでしょう。

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1995年早生まれの男の子(ミント)、1997年生まれの女の子(パセリ)の母親です。主として、目からウロコが落ちるステキな子育て・学力養成の理論&実践方法を提供しているどんぐり倶楽部について書いています。

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