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祭と遊び

ストレスを発散させ 異常行動に進展することを 未然に防ぐための仕組みが 祭りです。(どんぐり倶楽部「思考の臨界期」p.541)

娘が小学校にもうすぐ上がる頃、息子が先輩として言いました。
「学校って大変だよ。チャイムが鳴るたびに、教室に入ったり、教室を移動したり、給食を運んだりしなくちゃならないんだから。」
外部から区切られた時間に合わせて行動することが、真っ先に口から出てくるほど、子どもはチャイムの合図で行動することにストレスを感じているんだと気付かされました。これだけでもストレスなのですから、勉強が分からないこと、苦手で嫌いな教科をすること、宿題、先生に叱られること、子ども同士の軋轢などを考えると、学級崩壊などしていなくても、子ども自身が気付いている以上にストレスはたまるに違いありません。ですから、ストレス発散をさせてあげなければなりません。

では、どんな事がストレス発散になるのでしょうか。ゲームを思う存分やることや、ごろ寝でテレビのチャンネルを一日中変えながら見ることや、ネットサーフィンでも真のストレス発散になるのでしょうか。

●ストレスは必ずあるんです。そして、必ず蓄積するんです。だからストレス発散を計画的に生活の中に入れておくんです。祭りがそうですね。
※ストレス発散は計画的にすると楽しい非日常ですが、放って置いて爆発すると異常事態になります。ストレス発散計画は大人の重要な役目です。
※大人自身にも必要なことですよ。(どんぐり倶楽部 BBS過去ログ1063)

●祭りは元来気分転換の場であり、人為的に非日常的な快楽を得るための気分転換の場です。これは人間には気分転換(非日常的なこと)をすることでストレスを発散する(浄化する)というカタルシス作用を起こさせるものですので直接的に危険でなければ羽目を外すことが目的に添っています。
●全てが日常的ではストレスが溜まりますよ。「コーラの早飲み大会」でもよく考えると異常です。そこが祭りなのです。人類の歴史に照らし合わせてみても人間には祭りという気分転換が必要なようですよ。(BBS過去ログ330)


昔は日本全国津々浦々、祭がありました。私が住む大都市の郊外でも、盆踊りくらいならあります。でも、全く盛り上がらず、手本に踊っている人を眺めながら綿菓子を食べている程度。だいいち、祭に感情が伴っていません。農村なら、一所懸命育ててきた稲が収穫を迎えた。今年も豊作だ、有り難や、さあ収穫祭、となったのだと思います。

「有り難や」と書いたように、祭とは本来、神様に感謝する意味があったのでしょう。

「祝祭を祝う」ということの本質は何か。それは、創造主への畏敬の気持ちに支えられるということであろう。人間を越える偉大なる秩序や力、すなわち創造主の恵みに感謝し、そこから得られる憩い・悦び・希望こそが、人間を人間として正しく立たしめる源泉となる。(「知性としての精神」PHP研究所 所収、須賀由紀子「『観想的生活』と『自由時間』のあり方」p.252-3)

多くの人の労働が自然と密着していない今、遊び・レジャー・余暇活動においてストレス発散をしています。けれども、遊び・レジャー・余暇活動というのは、苦しい努力を強いられることもある労働からの避難所という消極的な意味以上のものがあると思います。労働に「生きていくために仕方がないからやる」以上の積極的な意味があるように。

なぜなら、

労苦からの解放の手立てとして祝祭があり、そこで人間は歌や踊りなどを通して神々と戯れることにより、人間として全き姿を取り戻すことができた(同上、p.254)

人間は「神聖な遊びを、最も美しく遊ぶ」(同上p.255)

「我々人間は、宇宙秩序の美・その神秘の中にはめ込まれた存在(生)なのだ」と言うことを認識し、それに畏敬の念を覚える。そして、この感情が、生来の「遊び」の形式をとって表出されるときに、神聖な行為・祭祀となり、「祭祀」が「遊び」に、いわば接ぎ木される。(同上、p.255)

からです。ですから遊びとは、

人間としての全体性を回復し、働いていても、一個の「人間としてある」という状態を保ち続けること(同上p.245)

に避難所以上の意味があり、人間を労働するだけの人間ではなく、労働とセットになって、本来の人間の姿にするものであるべきなのでしょう。「宇宙秩序の美にはめ込まれた存在」だと畏敬の念を覚えることとは、平たく言うと「深く感動すること」だと思います。

だから、

【人になっていく 】感動するたびに 人は人になっていく(どんぐり倶楽部HP「言葉の贈物」より)

感動したときには、労働・学校の勉強をするだけの存在ではない自分、より大きな全体としての自分、そして自分より大きなものにつながる自分を感じ、取り戻し、人が人になることができます。そして、この時起こる心の動きがカタルシスではないかと思うのです。幼稚園児や小学生にガンガン勉強させているケースを見るにつけ、大人の世界も、(おそらくそれを反映した)子どもの世界も、労働・勉強に重きを置き過ぎて、バランスを欠いているように感じます。勉強すればするほど、健全なパーソナリティを備えた人間に育つとは思えません。

こう考えてくると、小学生の遊びが何でも良いとは言えなくなります。藪の中で時間を忘れて秘密基地を作っているときや、工作に没頭しているとき、自分で蒔いた野菜の芽を発見したとき、子どもが「人間の全体性を回復しているなあ、カタルシスが起こってるなあ」とは思っていないでしょうが、それが起こっているのだと思います。

中学生になった息子の趣味は電気工作とプログラミングですが、それ以外にサイクリングによく行きます。一日10時間以上走ってきます。風を切って走っているとき、自分を越える大きな存在との一体になったさわやかな感動を覚えているに違いありません。

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コメント

はじめまして

はじめまして。紅葉アキと申します。

ハーモニーさんが過去ログに書かれていた時、どんぐりの理解をきちんとされている事、
思慮深さ、お子さんの様子など惚れ惚れしながら拝見していました。

ハーモニーさんのブログを知ったのは最近のことですが、
じっくり読ませてもらっています。

ブログを読みながら、お子さんのどんぐり作品を丁寧に解読されていることに感心したり、
どんぐりの理論では納得したりと感じることが次から次へ溢れてくるのですが、
うまく言葉で表せない状態です。

私自身、まだまだどんぐりの理解ができていなくて、
情けなくなりますが、ハーモニーさんの記事を参考にさせて頂きます。

支離滅裂ですが、ひとことお礼が言いたくて出てきました。
これからもよろしくお願いします。

よろしければリンクさせて頂きますね♪

Re: はじめまして

紅葉アキさん

見てくださってどうも有り難うございます。
特にどんぐり理論の方は、易しく書こうとすると、どんどん長くなってしまって、こんなん読んでもらえるかなあ、一目見て「なが~」て敬遠されるかなあと思っているんですが、読んでくださっている方も結構いらっしゃるみたいで嬉しいです。私のPCの先生(=息子)は、「写真もない、こんな長い文章、誰も読まないよ」と言ってましたが。

> 思慮深さ、お子さんの様子など惚れ惚れしながら拝見していました。

惚れ惚れですか。う~~ん。実物に会うと幻滅しますよ~。

> ブログを読みながら、お子さんのどんぐり作品を丁寧に解読されていることに感心したり、

ほんと、「解読」という言葉がぴったりです。

> どんぐりの理論では納得したりと感じることが次から次へ溢れてくるのですが、

私もです。おかげでネタが尽きなくて助かってます。

> 私自身、まだまだどんぐりの理解ができていなくて、
> 情けなくなりますが、ハーモニーさんの記事を参考にさせて頂きます。

私の場合、子どもが生活や勉強で困っていることが特になかったので、理論を知りたいという意欲が湧かなくて、表面的ではあるけどだいたい分かるまで、2,3年もかかってしまいました。上の子(息子)には悪かったなあと思っているんです。

> これからもよろしくお願いします。

こちらこそ。また見てくださいね。

> よろしければリンクさせて頂きますね♪

もちろんです。リンクしてください。

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1995年早生まれの男の子(ミント)、1997年生まれの女の子(パセリ)の母親です。主として、目からウロコが落ちるステキな子育て・学力養成の理論&実践方法を提供しているどんぐり倶楽部について書いています。

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