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マイブーム

100コできる(上手な・得意な)ことがあっても、
好きなことがなければ
楽しく過ごすことは出来ません。
ところが、100コ全てができなくても
好きなことが1コでもあれば
楽しく過ごせます。(どんぐり倶楽部「思考の臨界期」p398)


どんぐり倶楽部に出会うよりずっと前から、私達夫婦が大事にしていたことがあります。それは、

子どもたちのマイブームを大切にする。

お子さんをお持ちの誰もが御存知だと思うのですが、子どもは、一時期一つの遊びに熱中し、ぱたっとやめてしまうことが多いものです。我が家の場合、息子は工作(小さい物から、段ボール箱数個を使った大きな物まで)、プラレール、ベイブレードとベイゴマ、様々な機械の中身見ることなど。娘はリリアン(ティッシュの箱に割り箸数本を取り付けて毛糸で編む)、アイロンビーズ、「世界の国ぐに探検大図鑑」(小学館)を隅から隅まで読む、写真撮影など、そして今は園芸です。

プラレールに凝っていた頃は、立体交差をする複雑な線路が作れるように沢山の線路を買いました。ベイゴマを微妙に削るためにヤスリを取りそろえました。不要になったパソコンの中を開けて見せました。リリアン用に色とりどりの大量の毛糸を買いました。アイロンビーズも沢山買いました。娘専用のデジカメをサンタさんに持ってきてもらいました。

段ボールや不要なパソコンは別として、マイブームが去ったあとには大量の不要品が残りました。でも、それでいいのだと思います。マイブームをチャンスだとばかりに利用して、機械が好きだから理科の問題集をやらせるとか、外国に興味があるから英語教室に入れるなどして、好きなことを無理に学校のお勉強につなげようという欲など出してはいけないと思うのです。

私は小児科医でもなければ、児童心理学者でもなく、保育士でもありません。母親になったとき、子どもの発育に関する専門的知識はゼロでした。ですから、自然の一部である人間の子ども、その子どもの自然な状態は何かということを観察し、感じ取って、それに従って育ててきました。子どもは正しく成長するようにプログラムされているのだろうと。熱中する対象がくるくる変わることも、理由は分からないけれども、成長に必要なことなのだろうと今でも思っています。

冒頭の「思考の臨界期」の引用に続く部分に、

好きでない仕事に就いたとき
好きなことがあれば仕事を続けられます。(p.399)


とあるので、ここは大人向けに書かれたのかも知れません。でも、子どもの時から、好きなことを大事にする習慣が身についていれば、大人になってからの心の財産になると思うのです。

また、以下のような一節もあります。

大事な大事な満足回路
満足したという感覚が
納得感を導き
次のステージを
目指す動機となります。
「ネクストステージ理論」といいます。
「ここでやるべき事はやってしまった」
「次は何をしよう」
という感覚が大事なんです。(pp.141-142)


これも、マイブームではなく、その時その時にしていることを中断させることを戒めているのかも知れませんが、もう少し長期的な時間で熱中するマイブームにも言えるのではないでしょうか。

実は、工作や機械の中身を調べるのが好きだった息子は、マイブームに終わりませんでした。中学生になった今は、電気工作やプログラミングが趣味です。未だに機械が動く仕組みに興味があるのです。彼は好きでもないのに美術の絵画も結構上手だし、好きでもないのに音楽で歌ったり、笛を吹いたりするのも上手です。でも、これらのことは、好きにならない限り、彼の人生にとって、あまり意味がないように感じます。

できるからする
できるからさせるってのは最低
やりたいからする
やりたいからさせるってのは最高
やりたいことを大事にしてあげるのが子育て
できなくても大事にしてあげることは出来る
できることが何個あっても
やりたいことがなければ無意味(pp.704-705)


自由工作コーナー
娘9歳
ドールハウス:板をボンドで貼り合わせて家を作り、布を貼り付けて飾り付け

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未来のために

前回の記事に対してコメントをいただいて、「ここに書いたことと、どんぐりに賛同していることは、私の中ではつながっているんです」とお返事しました。今回は、それについて書きます。

7月29日の記事に、どんぐり倶楽部との出会いを、

書店で「絶対学力」を立ち読みし、巻末の文章題が面白かったことが、我が家にどんぐり倶楽部が入るきっかけでした。

と書きました。

本当にそうでした。「これ、面白そう」だけ。子育てで切実に悩んでいることもありませんでしたので、どんぐり倶楽部の理論を「悩みの答え」を探して必死に学ぶこともありませんでした。それでも関わりが出来た以上、無関心というわけでもなく、出会いから随分経ってから、理論書「思考の臨界期」を読みました。そして、そこに子どもがお腹の中にいた頃から抱いていた漠然とした不安に対する答えを見つけたのです。

妊娠していた頃に抱いた不安。それは「どうすれば、非人道的な事をしない人間に育てられるか」ということでした。お腹の中にいる子は男の子だと分かっていました。報道で知る限り、社会に不安を与える、対象が無差別な犯罪の犯人には男性が多いので、自分の子どもをどうしたら、そのような人間にならないように育てられるのだろうという不安がありました。もっとも、生まれてしまってからは、目先のことに無我夢中で、ほとんど忘れてしまっていたのですが。

無差別な犯罪をしないような人間とは、どんぐり倶楽部の用語では、

「人間的な(人間らしい)判断力を含む思考力」を備えた人間

です。どうすればこういう人間に育てられるのか、これが妊娠中に抱いていた不安だったのです。そして、この疑問の答えが、非常に明快に、納得できる形で示されていました。それは「ペットを飼いましょう。優しい人間に育ちます」のような、具体的だけれども、応用がきかない答えではありませんでした。このような答えでは、ぜんそくのためにペットが飼えない家庭では役に立ちません。「思考の臨界期」は具体策ではなく理論なので、個別の環境に合わせた応用がきくのです。

「人間的な判断力を含む思考力」の育て方が分かったとき、もっと早く真剣に読めば良かったと思う同時に、色々誤りはあるものの、大それた事をしていなくてよかったと安堵もしました。そして自分の感覚を頼りに善し悪しを判断していたことに、納得できる理論的な支えが得られて、行き当たりばったりのことをしているような不安感が大いに減りました。

一方、子どもが育つにつれ、先行き不透明な社会に対する不安が浮上してきました。普通に考えれば、親は子どもより先に死んでいきます。子どもを、この社会に残していくのです。前回の記事に書いたような社会に、我が子を託すのは忍びないと思いました。それなら、どんな社会ならいいか?ここで、私の心の中では、どんぐり倶楽部とつながりました。「人間的な判断力を含む思考力を持った人間で構成される社会」だと思うからです。

いつの時代もそうでしょうが、現在の世界も難問山積です。日本の公的年金制度ひとつでも、人口が増え続ける社会を前提に設計されていて、働けなくなった時の最低限度の生活を支えるに足るものではありません。「博愛」や「友愛」は魔法の呪文ではありません。本当にこういった数々の難問を解決していけるのは、単に頭がいいではなく、知恵のある人、人間味のある判断が出来る人々でしょう。そういう人たちが、ダイナミックに制度を設計し直すとか、制度による救済からもれる人たちを救い、支え合って生きていく社会をつくっていくのだと思います。

そういう社会を思い描いて、どんぐり倶楽部に希望を見出しているのです。

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ゆっくりさん

個性というのはその子の「できること」ではありません。
個性というのは、
その子が自然に無理なく楽しめること・面白く感じる能力のことです。
(中略)
第1個性とは、
その子が持って生まれたテンポのことですが、
第2個性である「好み」を
一般的には「個性」と呼んでいる人が多いようです。
(中略)
また、第1個性である
独自のテンポは
先天的なものなので
生涯にわたって
変えることは出来ませんし、
変えようとしても
効果はありません。

これら2つの個性のことを
知ったうえで子育てと教育を考えると
無理なく無駄なく効果的な
接し方が自然に見えてきます。(どんぐり倶楽部「思考の臨界期」pp.53-57)


最近「生きづらい」と感じている人は相当多いのではないかと思います。
私もです。
私が何故生きづらいか。「のろま」だからです。頭の回転も遅いし、同時に複数の事をしたり、段取りよく効率的に用事を片付けるのも苦手です。このブログもそうですが、思いついてから行動に移そうと気持ちがまとまるまでに、とても時間がかかります。ですから、日々スピードアップが要求される世間(仕事やPTAの用事など)では無能な気がするし、家庭でも非難されているような気がして、おどおどします。例えば、夫が子どもの能率の悪さを叱っていると、暗に私を非難しているのだと感じます。そして、この世には居所が無い気がしてくるのです。

どんぐり倶楽部の用語で言えば、第1個性である持って生まれたテンポが遅いわけです。どんぐり倶楽部の糸山先生は、こういう子どものことを「ゆっくりさん」という優しい言葉で表現しておられました。それが嬉しかった記憶があります。

●日本のIQ測定は反射速度測定ですから第一個性が「ゆっくりさん」の場合には無意味に近いものです。(Voiceログ28)

どんぐり倶楽部の考え方に従えば、この生きづらさも工夫で乗り越えるべきであり、工夫することが人生を楽しむことなので、工夫できる人間に育てなければならない。そして工夫が出来る人間に育てる方法とその根拠がぎゅっと詰まっているのが、どんぐり倶楽部の理論なのです。私にはその工夫が足りないようです。

知人のお子さんが小学校受験して、小・中・高一貫校に通っているのですが、この学校は一貫校と言っても、3割ほどは中学校から高校に上がれません。ですから、小学校受験のために幼稚園から塾に通い、校内での選別に勝ち残るために、その後もずっと通い続けなればならないそうです。

痛ましいと思います。こういう生活をあまり負担に思わない子どももいるでしょう。でも、私のように第1個性であるテンポが遅い子どもには、追い立てられ続けるような生活が続くのは相当辛いのではないかと思います。おっとりした子は、子ども時代に持って生まれたゆったりペースを尊重してもらえなければ、「自然に無理なく楽しめる」ようにはなりません。

そして、近年の米国初の世界的不況を見て思うのは、この子どもたちが成長した時、こういう努力につぐ努力が、楽しめることを犠牲にして経済的豊かさや社会的地位で報われる今と同じよう世界であるだろうか、ということです。世界の風景が変わっていて、努力と忍耐が水の泡になったら、もう戻らない子ども時代に対して、どんな補償ができるのだろうか。そう思うと胸が痛みます。

(世界の変化について思うことは改めて書きます。)

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言葉を味わう、体験を味わう

どんぐり倶楽部の理論の説明は熟語が多くて難しいという声があります。おそらく短い単語で多くの意味を盛ろうとすると、表意文字である漢字を使わざるを得ないので、熟語が多くなるのだと思います。「感味力」という言葉もその一つでしょう。「味わう力のことです」などと説明されて、益々分からなくなってしまう人も多いかと思います。

私は小学校時代を横浜で過ごしました。冬になると時々雪が積もりました。雪国ではないので毎日ではありませんから、とても楽しみでした。雪が積もっている日の朝というのは、独特の静けさがあって、カーテンを開けて外を見なくても、「あっ、今日は雪が積もってるかも」と布団の中で思ったものです。見なくても雪の日だと分かる、この静けさを寝ながら味わうのが好きでした。

夫は理系の研究所に勤めているのですが、ここに半年程の期限で、海外から若い研究者の卵がやって来ます。最近は東南アジアから来る人が多いです。半年の期限だと、日本で冬を過ごさない人が多いし、過ごしたとしても雪が積もるとは限りません。ですから、彼らに「雪がしんしんと降る」の「しんしんと」とはどういう意味かを、言葉を尽くして説明しても分からないだろうと思います。実際に雪がしんしんと降っているときに、「こういう感じを雪がしんしんと降るというのだよ」と言って、黙って一緒に、しんしんと降る雪を眺める、つまり「しんしんと」という言葉を味わわなければ(実感しなければ)、本当の意味で分かったことにはならないでしょう。そして、この体験がなければ、その東南アジアから来た研究者が日本語を学んでも、「しんしんと」という言葉は使いこなせないでしょう。

12才までの学習の基本は
「すること(できること)」ではなく
「味わうこと(わかること)」です。
(中略)
言葉を味わう
あるいは、
体験と深く結びつける
生きた言葉にする
応用の利く言葉を育てる
ためには時間が必要なのです。
(中略)
言葉を味わう時間を与えなければ
どんなに多くの言葉を
知っていていようとも
何の意味もないのです。(どんぐり倶楽部「思考の臨界期」pp.357~361)


例えば、上の段に、「しんしんと」「さんさんと」「ざあざあと」と書いてあり、下の段に「雨が降る」「太陽が照る」「雪が降る」と書いてあって、関係が深い物同士を線で結びましょう、といった類の問題は、いかにも無味乾燥としています。それは、言葉を味わったかどうかという個人的体験、回答者各人の感受性が上記の言葉と出会ったかどうかを点検する行為だからでしょう。

学生時代、夏休みに中央アジアを旅行したことがあります。イランやアフガニスタンの北にある、トルクメニスタン、ウズベキスタンなどの国々です。遺跡や歴史的建造物を巡るツアーでした。このあたりは乾燥地帯で、乾いた土地や草原が続いていて、その中にポツポツと目的地が点在しています。ですから、一つの目的地から別の目的地へ行くのには、飛行機に乗るか、バスを何時間もぶっとばします。早朝からバスに乗り込んで、延々と続く草原を眺める爽快さ。40度以上の猛暑の中、クーラーの無いさびれたレストランで、たかってくるハエを片手で追い払いながらかぶりついたスイカの美味しかったこと。「美味しい」などという陳腐な言葉では表現しきれません。遺跡や歴史的建造物より、こういった体験の方が、はるかに強烈に心に残っています。

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意識して学習する

娘が50点のテストを持ち帰りました。100点満点の50点です。全国の小学校でよく使われている、いわゆる業者テストで、分数のかけ算と割り算の単元です。内容は基本的な計算問題と簡単な文章題です。正答率50%という事実に、私の頭からは湯気が出そうでした。娘がいつものように、帰宅後すぐに遊びに出かけなかったら、落胆と怒りのあまり、しかりつけていたかも知れません。どんぐり倶楽部の算数文章題の6年生向けの問題の大半を、きちんと絵図を描いて解き終わっているのに。割り算のかけ算・割り算が図解説明できるほどだったはずなのに、どういうこと?全ては水の泡になったの?悪いことに、その頃私は、「博士が愛した数式」を読んでいました。80分すると記憶が消えてしまう数学者の物語です。6年生向け文章題の絵図を描いていたのに、今や基本計算の正答率も2分の1になった娘と、記憶障害の博士の姿が重なりました。

小学校入学以来最低点であったにも拘わらず、元気よく娘が外へ飛び出して行ったあと、気を取り直して、間違った箇所を点検しました。文章題の立式に誤りはありません。ということは、かけ算・割り算の意味は理解しているということです。誤りは非常に単純な計算ミスです。計算結果の分数の分子か分母が二桁の数字になることはあっても、もとの分数は分子・分母共に一桁の数字ですから、一桁の数字同士のかけ算つまり九九を間違っているのです。どう習ったか分からないのですが、計算過程で約分するとき、約分して小さくなる数を斜め線で消すということをせず、約分し計算するという過程を暗算でやっています。「これでは、間違うわけだ・・・」と納得しました。

娘はテストを渡すとき、「見直す時間がなかったから50点とっちゃった」と言いました。上記のように計算過程を書かず、暗算でやっているわけですから、時間がかかるのも当たり前です。でも、「見直す時間がなかったから」という言い方が気になりました。「見直しの時に直せばいいから、とりあえずやっとけ」という気持ちがあるのではと。そこで、娘には「あとで直せばいいからじゃなくて、最初から丁寧にやってごらん、こんな風に、これとこれは両方とも2で割って約分できるから・・・」と、約分して小さくなった数字を斜め線で消す書き方も教えました。

「丁寧にやる」というのは「意識してやる」ということです。そして、これは計算でも、漢字でもです。

意識的に生活する
意識的に計算する
意識的に読む
意識的に~
確かなイメージを作り上げてそれを見ながら~
(どんぐり倶楽部「思考の臨界期」p.320)


小学校の計算・漢字学習の方法は、順序が逆になっていることが多いと思うのです。計算は、新しい計算が出てきたときには丁寧に教えてくれるのですが、そのあと、習得のために多量の計算の宿題が出ます。多量だと、一つ一つ計算の方法の意味(例えば、分数のかけ算で分子同士、分母同士をかけるのはなぜか)を考え、納得しながらやるなんて嫌になってしまいます。だから、意味を考えることを「封印して」、手順だけ覚えることになります。大人は育つ過程で、沢山計算をする経験をしているので、いちいち計算方法の意味など考えずに計算します。そして、それを基準にするので、計算方法の意味など考えなくても「無意識に」計算できるところに早く子どもを連れて行こうとします。計算方法の意味など、あとから疑問に感じた子が勝手に考えればいいと言わんばかりに。

漢字もそうです。大人が漢字を書くときは、必要に迫られて何度も書いてきたからこそ、「手が覚えていて」書けるのです。大人が到達している手が覚える段階まで、その漢字が初めて出てきたときに、一気に子どもを連れて行こうとすると、同じ漢字を数十回書くという貧相な宿題になってしまいます。意識して書く段階が飛んでしまうのです。

そうではなくて、意識して何回もしているうちに、無意識でできる、無意識でやってもいい段階になるというのが本来あるべき順番だと思うのです。そして、習った時点でそこまで到達しなくても、子どもの人生は習った時点で終わりではないので、「意識してやる→無意識にできる」が、やがて起こると思うのです。意識するためには、一度に多量は出来ません。私は小学校教育のプロではないので、書くのも僭越ですが、一つ一つ、意識してゆっくりやらざるを得ない仕掛けを工夫する方が、一見遠回りに見えて、確実に思えます。

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Author:ハーモニー108
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1995年早生まれの男の子(ミント)、1997年生まれの女の子(パセリ)の母親です。主として、目からウロコが落ちるステキな子育て・学力養成の理論&実践方法を提供しているどんぐり倶楽部について書いています。

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